今日、日本でロースクールに通う友人からメールが届きました。

そのメールは、以前に私が彼女に宛てたメールに対する返事だったのですが、私はそのメールを読んで感動して泣いてしまいました。

一つは、私が送った一通のメールが彼女を救ったということに対する感動。

そもそも私が彼女にメールを送ったというエピソードは、とても不思議ないきさつからでした。
彼女にメールを送る前、私はとても困難な状況にいたのです。
思い描いた夢の道を目指して進んできたものの、現実の生活が思うようにいかず、不安と焦りを抱えながら忙しい毎日に流されてきました。そして、そうしているうちに、自分の夢も何も信じられなくなり、ついにはすっかり自信をなくしてしまっていたのです。

そんなある日、私は日本から連れてきた大好きな佳川奈未さんの著作の中から、ふとある一冊を手にし、読み返してみたのです。

ページをめくりながら、私は涙と一緒に熱い思いがとめどなく溢れ出てくるのを感じました。

その本は、その時の私に一番足りなかったものを教えてくれたのです。

その本は、その時の私に一番必要であった気づきをもたらしてくれたのです。

それは、感謝の心でした。

私は、今まで自分を苦しめていたものは、感謝の心を忘れた自分の貧しいものの考え方であったことに気づいたのです。

辛いのは現実ではない。
辛いと感じるのは、自分が現実を貧しい心のフィルターを通して見ているからなんだ。
そのフィルターを取り払ってしまわない限り、私はどこにいて何をしていても辛い思いをすることになるんだ。
今まで自分を苦しめていたのは自分自身だったんだ―

そのことに気づいてから、私の人生が少しずつ変わり始めたのです。

まず、一度は完全にあきらめようとした法律家になる夢に、自分の人生を賭ける覚悟を決めたのです。
それもただの法律家ではなく、うつくしき法律家に!!
そうして、その夢の実現のためにできることを一つずつ考えていくうちに、司法書士試験を受けるという選択をしたのです。
そうなると、試験対策をしなければならなくなるわけで、法律の勉強のことなどすっかり忘れていた私は、助けが必要であると感じました。

しかし、誰にでも助けを求めるわけにはいきませんでした。なぜなら、私の大切な夢の実現への課程に関わってもらうことになるからです。私は、私の夢をちゃんと理解してくれる人にしか頼めないと感じていました。自分の夢を理解してくれない人から、否定的なことを言われるのは嫌だと思ったからです。

そんな時にふと、私はこの友人のことを思い出しました。
ロースクールで一緒だった時から、何か不思議な縁を感じていたこの彼女。
特に価値観が合うというわけでもないのに、どこかいつも心のどこかで気になっていた彼女。
そして私は思ったのです。
「あぁ私、彼女にも感謝の心を持って接することができてなかった・・・」

そう気づいた途端、私はなぜか急に彼女にメールを送りたくなりました。
そして、何かに取り付かれたように、私は自分の正直な気持ちを綴った長い長いメールを一時間かけて打ったのです。
この、一方的に私の感情を綴ったメールに、彼女がどんな反応をするか、私は少々不安もありました。
けれども、それよりも、私は彼女に対して”フィルターを通さない自分”を出したかったのです。
私は、純粋に、感謝の気持ちを持って、このメールを打ったのです。
ですから、それをどう解釈するかは、彼女に任せるしかないと思っていました。

そうして何日か経つうちに、彼女からメールが返ってきました。
そして私は、彼女のメールを読んで驚きました。
私が彼女にメールを送った時、彼女もまた心身共に辛い状況にあり、どうにもならなくなって学校を続けられるかどうかもわからない程辛い思いをしていたというのです。
そんな時に彼女は私のメールを読み、彼女にとっても忘れていた大切なものを思い出すきっかけになったそうです。
それと同時に、彼女はこうも言っていました。

「今の自分の置かれている状況、人との関係、自分の生き方、そういったものを弁護士を目指すうえで本当に自分なりの指針を持っているのか突きつけられた気がします。 」

私は、自分の打ったたった一通のメールが、人の心を動かし、その人の魂に影響を与えることができるということにとても感動しました。
人の心を動かすということが、こんなにも感動的なことだなんて。

感動できるということは感謝に値する。
でも、人を感動させられるということは、もっと感謝するに値する!!

2008.12.20 Sat l ├感情 l Comments (0) Trackbacks (0) l top
昨夜、友人宅で留学生にはおなじみのポットラック・パーティーが開かれました。

ポットラックとは、参加者が一人一品ずつ手料理を持ちよるパーティーで、大体自国の料理を作るのが定番です。
昨夜の参加者は、日本人、中国人、トルコ人、アメリカ人だったので、寿司や牛肉を使った中華料理など、結構なご馳走が並びました

そのパーティーに、私はアメリカ人の友人を招待したのです。
彼女とは5年前に私の大学の留学生のためのボランティアプログラムを通して知り合い、当時は仲良くしていたのですが、その後彼女がアメリカに帰ってしまってからは連絡が途絶えていました。
そして偶然、今年からその彼女と同じ大学院プログラムに通うことになり、5年ぶりの再会を果たしたわけです。

そんな嬉しい偶然ではあったのですが、何せ大学の授業が始まってからはとにかく忙しく、なかなかお互い時間を作って会う機会がありませんでした。
そんな中、久しぶりに彼女と連絡を取り、一緒に食事に行く約束をしていたのですが、別の友人から同じ夜にポットラックのお誘いがかかり、どうせなら彼女も誘ってどっちの予定もかなえてしまおうと、一緒にポットラックに参加したわけです。

そして、友人宅では各自が持ち寄った彩とりどりの料理がテーブルに並べられ、私は久々の寿司と豪華なディッシュにそれはそれは興奮していました
そうやって、参加者全員が揃うのを待ちながらみんなで歓談していたところ、私の料理に興奮した様子を見て、アメリカ人の友人が唐突に、

「あなたって今でもいっぱい食べるの?」

と聞いてきたのです。

私は一瞬びっくりして、
「えっ、どういうこと?私っていっぱい食べてた?」
と聞き返したのです。すると、
「ええ、あなたってそりゃあたくさん食べてたわよ」
と何やら含みを持たせながら言われたのです。

そんな彼女の言い方に、私は「私=大食い」のように彼女にとられていることを感じ取り、ショックを受けたのです。
しかも今は、自分の過食癖に本気で苦しみ、悩み、なんとかしたいと必死でもがいている状況だったので、私はこの彼女の何気ない言葉に深く傷ついてしまったのです。

その場はなんとか受け流すことができたのですが、私はその後料理を心から楽しんで食べることができませんでした。
その上、友人が事あるごとに
「まだ食べるの?」
「もういい加減お腹いっぱいになった?」
と私の気に触ることをいちいち言ってくるのです。
私はショックを通り越して彼女に怒りすら感じました。

そんな事があったにせよ、パーティー全体としては盛り上がり、私は楽しい時間を過ごすことができました。
しかし、パーティーが終わり自分の部屋に帰ってからも、ふとその時のことを思い出しては、改めてショックを感じている自分がいることに気がついたのです。

~パート2へつづく~
2008.12.13 Sat l ├感情 l Comments (0) Trackbacks (0) l top
毎週木曜はセラピーの日

今私がセラピストと一緒に取り組んでいる課題は『過食』。
昔からそうなんですが、私ってストレスを感じた時に食べることでストレスを解消しようとする傾向が強いんです。
しかも、無意識のうちにやっていることなので、習慣化してしまっていて、セラピーを始めるまでは何で自分が時々無性に過食してしまうのか、その理由が全くわかっていませんでした。

でも、先週から食事ダイアリーをつけ始めて、だんだんと自分のストレスと食のパターンがわかるようになってきました。
中でも一番大きな発見だったのが、私は
「食事の際に過食してしまう時はリラックスできていない」
ということ。
つまり、体が緊張状態のまま(ストレスを感じたまま)食事をしているため、他の感覚が麻痺してしまっていて、味を感じたりとか、満腹を感じたりとか、そういうことができない状態にあるということです。

なので、食事を終えて満腹のはずなのに、それを感じることができず、
「まだ物足りない・・・」
と思ってしまうのです。

どうして食事の際に緊張状態になってしまうのか、理由はいろいろあると思いますが、大きくは幼児期の経験が関係していると思います。
つまり、(いろいろな理由で)昔から食事の際にストレスを感じることが多かったため、「食事=ストレス」という反応を示すようになったと思われます。
それが、大人になった今でも無意識のうちに繰り返されているんですね。
三つ子の魂百までと言いますが、幼児期の経験って本当にインパクト大きいんだなあと、感心すると同時に自分のことなのでちょっと悲しくなります

それでも、自分のことが少しずつわかってくるのって、何ともすがすがしい、素敵な気分です。
その気づきの中で、新しいことを学んだり、はっとさせられることもあったり。

中でも、今日セラピストに言われた
「好ましくない感情を感じている時に、それを自分の中から追い出してしまおう、忘れてしまおうとすることは、かえって良くないんだよ」
ということがとても印象に残っています。

人間は、ある感情を頭の中から消し去ろうとすると、脳が
「待って待って、その感情はとても大事な意味を持っているんだよ!」
といって、消し去ろうとしていたその感情をもっと強く感じるように、脳内で化学反応を起こすんだそうです。
その結果、もっとその感情に苦しめられることに・・・。

というのも、良い悪いに関わらず、人間の感情とは脳が何かの異状を私たちに知らせようとするサインであるからなんだとか。
(多くはそれがストレスであると私は思うのですが。)
なので、その大事なサインを見落とさないように、脳は私たちに色々働きかけるんだそう。
それが感情の正体なのです。

セラピストが言うには、そんな時は感情を殺してしまおうとはせずに、感じるままにさせておく方がいいそう。
そのかわり、「その感情を通して」世界を見てしまうと、心がその感情に完全に支配されてしまうので、そうではなく、
「その感情を抱えている自分」を外側から見ようとすることが大切だそう。
具体的には、
①自分の中にある感情があることに気づく
②その感情をラベル張りする(例えば、悲しみ、怒り、嫉妬心、などなど)
③その感情を感じたまま、徐々にほかの事(勉強や趣味など)に意識をずらす
というステップになります。

ここでのポイントは、「その感情を感じながら」という点。
その感情を忘れようとすると、さっき言ったようにそれはもっと大きくなって戻ってきます。
その感情はまだ心の中にあるけれど、少しずつ意識を他のことにずらしていく。
そうしていると、気がついた時にはその感情はかなり小さくなっているはず。
感情とは、それが強ければ強いものであるほど、長続きさせることは難しい性質なんだそう。
その性質を利用して、一定時間意識をその感情から外し、うまく感情が鎮火するのを待つという手法。
最初は要領がわからないのでなかなかうまくいかないのですが、徐々にマスターできるようになります!!
2008.12.11 Thu l ├家族 l Comments (0) Trackbacks (0) l top
ー司法書士試験合格に向けてー

2008年12月11日

私yoshimiは、2009年7月上旬に実施される司法書士試験に合格することを、今ここで固く決意します!

そして、今日からうつくしき法律家になるための途を、
一歩一歩自分の足で確実に歩いていき、
何があっても途中であきらめないことをここに誓います!

英語と日本語を自在に操り、
経済と金融の専門知識を味方につけ、
国際的な案件を堂々と扱える、
凛として知的な美しさに満ちあふれた法律家。

私は、この大きな夢に人生を賭け、
わくわく、きらきらした気持ちで
夢の実現のための途を
一歩一歩確実に歩んで行くことを
今ここで期待と感動に満ちた心で決意します。

私の未来が、そして、私を取り巻く全ての人々の未来が、
幸福に満ちた素敵なものでありますように!!

yoshimi

2008.12.11 Thu l ├夢 l Comments (0) Trackbacks (0) l top