私がついついやってしまう癖の中で、他人と自分を比較してしまうというものがあります。

自分に対する評価が相対的なので、周りが自分より劣っていると感じる時は安心し、逆に自分が周りより劣っていると感じる時は不安で仕方ないのです。

きっと、劣等感が強いのだと思います。

昔の私は、自分より劣っていると感じる人を批判したり、嘲笑するということをしていました。

きっと、そうすることで何かしら安心感を得ていたのでしょう。

でも、それを裏返せば、私は人より「劣る」ということが怖いのだと思います。

だから、自分より劣っていると感じる人を批判することで、自分が人より「劣って」いないことを自分の中で確認することができ、それで安心するのです。

でも、反対に、自分が周りより劣っていると感じる時は、ものすごい不安感に襲われるのです。

まるで自分の全てが周りから否定されたかのように思え、自分が全く価値のない人間のように感じてしまうのです。

そうなると、自分は何が好きなのかとか、自分は何を信じているのかとか、そういった自分の価値観が全くわからなくなってしまいます。

本当に、今まで持っていたはずのものまで、何も思い出せなくなってしまうのです。

私がミシガンに来た最初の頃は、特にそうでした。

私は、自分のプログラムが「応用」経済学であったことは知っていたにも関わらず、ここまで経済「工学」的なプログラムだということを知らずに、ミシガンにやって来たのです。

そして、いざ新学期が始まってみると、授業は数学バリバリの内容で、クラスメイトはみんな理系のバックグラウンドを持ってる人ばかり。

中には、中央銀行や政府機関から派遣されてきた人もたくさんいました。

そんなツワモノ揃いの中にあって、私は、これから自分は本当にここでやっていけるのかということに、とてつもない不安を抱いたのです。

その不安はとても大きなものでした。

そして、ただでさえそんな不安定な状態のところに、運悪くとても教え方の悪い先生にあたってしまったのです。

本当は、その先生の教え方が悪くてみんな授業が理解できていないのに、私は、自分が劣っていると思っていたために、その授業が理解できないのは自分のせいだと思い込んでいました。

そして、思いつめるあまり、パニック障害を何度も引き起こすこととなりました。

それがきっかけで、Psychological Clinicでセラピーに通うようになったのですが。



しかし最近は、ちょっと違った見方をすることができるようになってきたのです。

自分より優れていると感じる人に出会うと、長年の癖でやっぱり最初はショックを感じてしまいます。

しかし、自分がショックを受けているという事実をありのまま受け止めると、そのショックもやがては薄れてきます。

そうして、よくよくその人の話を聞いてみると、その人がある点において優れているのは、本人がそうなるように時間もエネルギーもかけてきたからだということがわかってくるようになりました。

そして、そう考えると、私が他のことにエネルギーを使っている間に、その人はそのことに集中してエネルギーをかけていたのだから、その人がその点において私より優れているのは当然であり、逆に言えば、私にはその人がエネルギーをかけなかったところで、その人より優れている点があるかもしれないということです。

とすると、「劣っている」「優れている」という考えはもはや意味をなさなくなってしまいます。

なぜなら、それは個人の能力の差に関する問題ではなく、どこにたくさんエネルギーをかけたかという、資源配分の問題に過ぎなくなるからです。

たとえ、クラスメイトが素晴らしいプレゼン能力を持っていたとしても、それは、彼女がコンサルタントとして現職で働くうえで身につけた能力であり、職務経験のない私が、彼女のように素晴らしいプレゼンができないからといって、劣等感を感じる必要は全くなく、逆に、彼女の素晴らしいプレゼンを見る機会を持てたことに感謝するべきなのです。

そこのところを忘れて、私は全てが人よりもできなければならないと完全に思い込んでしまっていることがよくあります。

だから、自分より周りが優れていることにショックを感じるのです。

でも、ショックの感情はただのサイン。

自分の考えが狭まってしまっていることの表れだと思います。

これからは、少しずつ、気づいていこう。

心も美しい私になれる日を夢見て。
2009.01.22 Thu l ├感情 l Comments (0) Trackbacks (0) l top